2013年01月18日

唐突ですが、ウィルコ・ジョンソン インタビュー (DOLL 2004年01月号 NO.197)より

こないだ残念ながら観に行けなかったけど、ご存知のようにウィルコ・ジョンソンさんが大変なことになってます。

2003 年の 11 月、私は 「DOLL」 誌でウィルコにインタビューしたのだが、ホントに最高の人だった。かっこよくて、かわいくて、面白い人だった。
当時うちのカーオールさんに絶賛してもらったこのインタビュー。読み直してみたら確かにおもしろかったので、ちょっと加筆してここに転載します。

ウィルコさんには少しでも長生きして欲しいです。



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ジョー・ストラマーに言われてたんだよ、「いずれ一緒に……」

また来てくれた! 飛び出すカニ歩き、そしてマシンガンギターでお馴染みウィルコ・ジョンソンが! そして、その傍らには彼の盟友で絡みつく蜘蛛のようにベースを弾きまくる男、ノーマン・ワット・ロイ! さて、この来日に先駆けリリースされたのが 『RED HOT ROCKING BLUES』 なるアルバム、本作は元々 ウィルコ自身のヒーローのバックバンドをつとめるために製作されたデモ録音だそうだ。
いや、デモだといって侮ることなかれ。まさにRED HOT な刺激的ロックンロールがコンパクトディスク上でひしめいており、誰か様のごとく「IT’S ONLY ROCK’N’ROLL BUT WE LIKE IT!」っと叫びたくなるような内容なのだ。ってなわけで、ウィルコにいろんな経緯を聞いてみたんだが…・・・ウィルコも人の子、ロックの子、俺たちと一緒じゃねぇか!ってことが十二分に伝わってきたわけです。 



―― いろいろと新しい音楽も聴きますけど、結局、帰ってくるのはこのアルバムに入ってるようなロックンロールだと思いました。
ウィルコ「(変な声で)イェェエエ〜」
――(本気にしてもらえなかったかな?)さて、このアルバムは元々ヴァン・モリソンのバックバンド用のデモだったとのことですが、ヴァン・モリソンとの出会いを教えてください。
ウィルコ「も〜う、ティーンネイジャーの頃から凄いファンなんだよ! 63年か64年の頃のことだけど、女の子に声をかける時も、頭ン中で景気づけにゼムの『HERE COMES THE NIGHT』を歌ってたんだよね。♪さぁ、夜が来るぜぇ〜って。で、そん時会った女の子が実は今の嫁さんなんだけど、面白いことに名前がアイリーン・“ナイト”っていうんだよ(笑)」
―― ホントに“ヒア・カムズ・ザ・ナイト”だったわけですね(笑)。
ウィルコ「まさに HERE COMES THE NIGHT,CHANGE MY LIFE だよ。 ヴァン・モリソンの音楽はずっと好きで、72年くらいに出た 『SAINT DOMINIC’S PREVIE』 は俺の人生を変えたアルバムだな。その頃、『レディオ・ルクセンブルグ』っていうロックをかける電波の悪いラジオ局があって。そこでそのアルバムをノーカットで聴いたんだけど、もの凄く感動した! それからもう 30 年経ったんだけど、今でも同じ気持ちだよ」
―― それほどまでに好きだったんですか。
ウィルコ「落ち込んだ時にヴァン・モリソンのレコードを聴く。シンセサイザーのフワァ〜ンって音を聴いてると『これで俺の人生も大丈夫だ』と思えるな。76 年にドクター・フィールグッドがロスにプレイしに行った時、『ヴァン・モリソンが君に会いたいって言って来てるよ』って言われたんだけど…・・・無理! 無理! 無理! そんなの会えるわけないよ!」
―― え、それはまたなんでですか?
ウィルコ「だって彼は俺のヒーローなんだよ!! も〜う人間に見えないね! とてもじゃないけど会えるわけないって。でも、その後も俺たちのライヴに来てくれてさぁ。何度か一緒に飲みに行ったんだけど、俺はもうホントに大ファンだから、恐縮しちゃってダメだね。『あなたの音楽で俺の人生がどれだけ変わったことか』っていう台詞をなかなか言えなくてねぇ。でも、そのうち、向こうから 『いつか一緒になにかやろうよ』 って言ってくれたんだよ」
―― おっ、チャンスじゃないですか!
ウィルコ「でも、俺にはそんな自信はないし、電話もかけられなくてさぁ。結局、ウチのかみさんが俺の代わりに電話してくれて(笑)。で、彼のバックバンド用のデモを録音することになったんだよね。だから、これは元々彼に渡すだけのつもりだったんでリリースする予定ではなかったモノなんだよ」
――デモでこんなに素晴らしい内容! これを聴いたヴァンはなんて言ってました?
ウィルコ「(恐縮しながら)いやいやいや、渡した後にも何度か会ったし、なんか言ってくれてたんだけど、もうなにを言われても上の空だよ(笑)。ホントに神様みたいな存在だからね」
――そこまでの存在でしたか! 素顔はどんな方なんですか?
ウィルコ「ヴァンは全然スターきどりじゃないし、すっごくいい人。会うたびに驚かされるよ。初めて会った時に彼が 『昔は僕も君たちみたいなバンドをやってたんだよね』 とか言い出しちゃって……」
――つまり、フィールグッドをゼムのようなバンドだと…
ウィルコ「で、俺は『いやいやいや、めっそうもない…』って(笑)」
――そこでも恐縮したわけですね(笑)。
(※ 恐縮のあげく、ウィルコはヴァンにミック・グリーンを推薦し、2大ヒーローの共演を実現させたのであった)


――さて、今回カヴァーが多いですけど選曲は? 
ウィルコ「スタジオに入って、『あの曲やってみない?』 みたいな感じで、思いつきでドンドン録ってったんだよ」
――ゼムが『BABY PLEASE DON’T GO』を蘇らせたのと同じく、あなたもブルースに命を吹き込んで新しい世代に伝えていると思うんですけど。
ウィルコ「(信じらねぇなって顔で)WOW」
―― いや、ホントですってば(笑)。昔の曲をやる時に心がけてることはありますか?
ウィルコ「どのジェネレーションにもいいものはあるんだよ。思い返してみると、クリフ・リチャードみたいなクソがいた頃も、突如 ローリング・ストーンズが現れたし、アメリカにはファンタスティックなシカゴブルーズってもんがあった。まぁ、いいものはいいってことでやってるだけで、別に意識してやってるわけじゃないよ」
―― なるほど。
ウィルコ「ストーンズもただ好きなものをやってただけで、リバイバルのつもりでやってるとは思えなかったしね」
――では、当時大流行してたビートルズのことはどう思ってたんですか?
ウィルコ「うん、サウスエンドで観に行ったことあるよ。でも、観ただけだよ」
―― ん? 「観ただけ」とは?
ウィルコ「みんながキャァアアー!! って叫ぶから聴こえなかったんだよ(笑)。30W の VOX のアンプかなんかがあって、なんとなく誰が歌ってるかはわかったけど、そのキャァアアー!! で、まったく聴こえなかったよ。まぁ、若かったから最高だったよね」
―― ビートルズがキャーキャー言われてる時にゼムやジョニー・キッド&ザ・パイレーツが好きだったっていうのはシブい趣味だったんじゃないですか?
ウィルコ「『サタデー・クラブ』ってラジオショーがあったんだけど、それを聴きながら部屋をウロウロしてたら、DJが『ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ!』って言って急に彼らの曲が流れだした……それにブッ飛んじゃって、俺の人生が変わったんだよ! しばらく俺の頭ン中から、あのファンタスティックなギターサウンドが抜けなくてねぇ。それから数日後に TV で彼らがアイパッチして 『SHAKIN’ALL OVER』 をやってるのを観て、またビビったね。だって、まさか一人でギター弾いてるとは思ってなかったし! ソレを観て、俺は彼 (ミック・グリーン) になりたいと思ったね
―― そっから今の道に走ったと。
ウィルコ「ある日、学校を休んでストーンズのアルバム買いに行ったんだけど、そん時、ジョニー・キッド & ザ・パイレーツのシングルも見つけちゃって。『俺が一番好きなのはどっちだろ?』 って真剣に悩んだね。まぁ、ギタープレイヤーとしてはミック・グリーンを真似てたんだけど、ルックスの方は髪も伸ばしてキース・リチャ―ズを目標にしてたね(笑)」
―― あなたがミック・グリーンに影響を受けたように、あなたから影響を受けた人は山ほどいると思うんですけど、意外なとこでギャング・オブ・フォーにソレを感じます。聴いたことは…
ウィルコ「あるよ(笑)。ロンドンのポリドールでレコード会社の人間が 『これ、ちょっと聴いてみて』 つって聴かせてくれたから、『まぁ、いいんじゃないかなぁ〜』 って言ってたんだけどね。そしたら、その人が『わかんないの? こいつ、あんたのパクリじゃん!』 って言ってきてさ。でも、俺はそんなことないと思うな。彼なりにやってると思うし。まぁ、俺の影響を受けたって言われたりコピーされたりするのは光栄に思うけど、ミュージシャンだったら誰だって誰かに影響を受けたり憧れたりすると思うよ。俺だってミック・グリーンになりたかったし。でも、誰かのマネをするだけじゃなく、そこに自分のオリジナリティーを足さなきゃダメだよな」
―― サウンドがミック・グリーンから影響を受けてるのはよく解るんですけど、あなたのあのアクションはどこから来てるんですか?
ウィルコ「ソレ、前も聞かれたな(笑)。俺が子供の頃からよく通ってたクラブがあってさ、そこにロンドンからバンドが来るんだよ。ジョージ・フェイムとかズート・マネーとかジョン・リー・フッカーとかもそこで観たな。で、そこで、あるバンドを観たんだけど、そのバンドは演奏はまぁまぁで 『コレなら俺でも出来るよ』 って思ったんだけど……アクションがもの凄くてさぁ。それを観てたら倍くらいいいバンドに観えたんだよね(笑)。ピート・タウンゼントも (腕をグルグル回しながら) 凄いワイルドなアクションだったし、リー・ブリローにも (肘を曲げ伸ばししながら) 彼なりのアクションがあったからさ、俺も自然にやるようになったんだよ。でも、初めて自分の動きをビデオで観た時は 『こいつ、ついに狂いはじめた!!』 って思ったけどね(笑)」
―― ははははは!
ウィルコ「チャック・ベリーを初めて聴いた時も、なんてファンタスティックなプレイなんだ! っと思ったけど、実際にあの動きを観た時は天国にいったような気分になったよ(笑)」
―― 初めてあなたの動きを映像で観た時も凄い衝撃でしたよ。ギターソロになったらパチンコ球が弾かれたみたいに飛んでいっちゃうし。
ウィルコ「ははははは! 最初に (アクションを) ステージでやり始めた時からオーディエンスはエキサイトしてくれてたんだけど。ただ驚いてるだけじゃなくて、みんながニヤリとしてくれるのを見てると 『俺のジョークを解ってくれた』 って気分になって嬉しいんだよね(笑)。まぁ、フィールグッドの時のアクションは暴力的に見えるかもしれないけど、俺は元々はヒッピーでピースな人間なんだよ」


―― 一月前にスティーヴ・フッカーが来日してたんですけど、彼とは同郷ですよね。
ウィルコ「スティーヴは街で一番のすっごい痩せた男で。目はロンパって髪の毛はデヴィッド・ボウイみたいで、すごいイカレた奴だなぁって思ってたんだよ。よく一緒にリー・ブリローの家に遊びに行ったな。奴とはフィールグッドを辞めた後に一緒にやったことがあるよ」
―― 12 インチシングル出してますもんね。
ウィルコ「俺はフィールグッド時代は金もあったし、ある程度人気もあったから、いろいろとまとわりついてくる奴がいたんだよ。でも、辞めたらいきなり態度を変えてくる奴が多くて。友達と思ってた奴もいっぱいいたけど、みんなファックな野郎ばっかりだったよ。でも、スティーヴは違ったね。あいつもボブ・ディランが好きでさぁ、いい奴だよ。いつだったか、あいつがデモ・テープを家に持って来たんだけど、それ、音は最高に悪かったけど、すごいカッコよくてエキサイティングでね。奴は信念持ってロカビリーとかサイコビリーをやってて 『誰がなんと言おうが知ったことか!』 って感じで自分のやり方を貫いてる。そういうとこを俺は凄い尊敬してるよ」
―― なんか嬉しい話です!
ウィルコ「その後に一緒にギグを何度もやってるし、俺が好きな 『TEMPTATION WALK』 って奴の曲は俺のガレージで録音したんだよ(笑)」
―― あと、あなたがパールハーバーの 『DON’T FOLLOW ME I’M LOST TOO』 にノークレジットで参加してたことを最近知って驚いたんですよ!
ウィルコ「パールと初めて会ったのは、確かポール・シムノンの家だったな。その頃、彼女がサポートしてたフェスティヴァルになんかアメリカのバンドを呼ぶ予定だったんだけど、それがポシャっちゃってね。で、代わりに、俺とブロックへッズのジョー・ターンブルとミック・ギャラガー、それにポール・シムノンとポール・シムノンの兄貴(ドラム)がバックを勤めたパールのバンドで、ストレイキャッツのサポートをやったんだよ」
―― へぇ〜凄いメンツですね!!
ウィルコ「その後にそのアルバムを録ったんだけど、ブッとんでて、あんまり覚えてないな(笑)」
―― あらっ? しかしポール・シムノンとあなたが一緒にプレイしてるってのも凄いですね。
ウィルコ「クレイジーギグだったよ。まぁ、クラッシュの連中とは友達だったから、楽しもうと思ってやったんだよ」
―― では、亡くなられたジョーストラマーについてコメントをお願い出来ますか?
ウィルコ「あぁ(沈黙)…俺が思うにジョー・ストラマーはグレイトなロックンローラーだったよ。 初めてクラッシュに会ったのはちょうどドクター・フィールグッドを辞めた頃で。俺が子供を肩に乗せてオックスフォードストリートを歩いてたら、前からジョーと多分ミック・ジョーンズだったと思うんだけど、彼らがやって来てさ。『俺らのことを知らないと思うけど、ライヴを観にきてくれよ』 って言うから、俺は 『君らのことを知ってるよ』 って返したんだよ」
―― 知ってたんですか?
ウィルコ「いや、当時、俺が住んでたアパートはパンクスの溜まり場でさ。よく、そういう連中を見かけてたんだよ。あと、モーターヘッドのレミーなんかも住みついてたな」
―― 凄いアパートですね(笑)!
ウィルコ「その頃、モーターヘッドのローディーがクラッシュの悪口を言ったのが記事になっててね。俺はレミーとはいい友達なんだけど、彼に 『クラッシュってバンドの奴に会ったよ』 って言ったら、『ああ、知ってるよ。なんか、うちのローディーが悪く言ってたなぁ』 って(笑)。あと、トッパー・ヒードンは俺とルー・ルイスのバンドでドラムを叩いてた。一瞬だけどね。奴はジャンキーだったからトラブルだらけで(笑)。まぁ、とにかくジョーはその頃から知ってて……いずれ一緒にバンドをやろうって言ってくれたんだけど、結局、実現出来なかったな…」
―― そんな話もあったんですか……
ウィルコ「だから、彼が亡くなったのを聞いた時はホントにショックだったね。ジョーが病気だったって誰も知らなかったんだよな。世の中には残酷なことが多いよな。ジョージ・ブッシュとかサダム・フセインみたくファッキンな馬鹿野郎が死ななくて、なんでジョーが死ななきゃならないんだよ! で、その後に、彼のメモリアル・ギグがロンドンであってさ、76 年以来、ずーっと会ってなかった奴等に久しぶりに会えたし、凄い盛り上がって最高だったな。ジョーって奴は音楽に対してもファンに対しても誠意を持って接する男だったよ。 凄い素晴らしい奴でね。ホントは億万長者になろうと思えばなれてたのに、それをあえて選ばなかったんだよ。彼がいなくなって……ホントに残念だよ」


(なんだか悲しい気分になってきたので、ここで、インタヴュールームに入って来たっきり、ずっと無言かつ怖い顔で座っているノーマン・ワットロイにも話を聞くことにした)
―― あのぉー…MR ノーマンにも話を聞いていいでしょうか?
ノーマン「もちろん、OK だよ(微笑)」
―― ウィルコと初めて会った時のことを聞かせてください。
ノーマン「彼のことは知ってたんだけどライヴを観たことはなくてね。で、ある時、クラブに行ったらウィルコがすごく落込んだ感じで座ってたんだよ。彼はちょうどドクター・フィールグッドを辞めたばっかりで、『俺、もう音楽やめようと思ってるんだ』 って言っててねぇ。そこで、イアン(・デュリー) が 『ダメだよ、そんなこと言っちゃあ! よかったら、スタジオに来いよ。一緒にやろうよ!』 って言ってさ。そしたら彼は来てくれてね、そのまんまメンバーになったんだよ。その頃、ブロックヘッズは警察とのトラブルだとか他にも良くないことがいろいろあったんだけどね、ウィルコが入ってくれたことで、エネルギーを与えてもらったねぇ」
――ホントに名コンビですよね! このまま、ずっと一緒にやってくださいね。
ノーマン「サンキュー・ベリーマッチ(ニコニコ)」
ウィルコ「俺はノーマンと一緒にやりたいからブロックヘッズに入ったんだよ」
ノーマン「ははははは(照れ笑い)」
―― では、最後に日本のファンにメッセージをお願い致します。
ノーマン「85年に初めて来た時、お客さんみんなが音楽を愛してるのがよく解ったよ。その気持ちをずっと持ち続けて欲しいね」
ウィルコ「俺が好きな国は 2 つだけで、一つはスペイン、もう一つは日本なんだよ。日本の文化は素晴らしくて本当に大好きだよ。あと、今までいろんな国に行ったけど、日本にはホントの友情を築けた仲間がいる。ここんとこ 18 ヶ月おきくらいに日本に来てるけど、ホントに毎回毎回楽しみにしてるんだよ」
ノーマン「今朝も二人で散歩しながら、『最高の街だよな!』 って言ってたとこだよ(笑)」
ウィルコ「あと、日本人はイングリッシュ・ジョークを解ってくれるんだよ」
―― そうですかねぇ(笑)。
ウィルコ「いや、解ってると思うよ。アメリカ人より全然わかってる。きっとお互い島国だから近いモンがあるんだろうね。まぁ、とにかく最高の国だよ。俺は凄い落ち込みがちな人間でね、85 年にもし日本に来てなかったら、もうプレイしてなかったかもしれないな(笑)」



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posted by TSUNEGLAM SAM at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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